その日は朝からとても冷え込んで、僕は家から出られずにいました。

少し窓を開けただけでも、頬がぴりぴりと痛いのです。おそらくもう

少しで何もかも凍り付いてしまうのでしょう。この北の地ロシアで、そ

れは極めて恐ろしいことでありました。凍ってしまえば、春までは絶対

に氷は氷のままだからです。そしてその冷却の季節は、永遠とも思

えるほどに長いからです。

長い長い冬の間、僕はほとんど全く家から出ずに過ごします。僕は

生まれつき体が弱く、軽い風邪でも生死にかかわりかねないと、みっ

つの時分に医師に言われたのです。

僕の家はモスクワから車で一時間程の場所にあり、夏場でさえあ

まり人影を見かけません。冬などは、家に来るのは週に一度、食べ

るものと飲むものを届けに来る食料雑貨屋のレギャートフだけです。

辺りはしんと静まり返っています。昨日のうちに積もった雪が、雑音

のすべてを消し去ってしまったようです。ふう、と息をつけば、それは

やけに大きく聞こえました。

(こんな日には亡霊たちがやって来るに違いない、きっと)

かたく目蓋を閉じると、その生を持たざるものたちは、すぐ傍に立っ

ているような気がします。神を厚く信じるこの氷の大地で、彼女らは

唯一、神の加護をうけないものです。冷たい指がすっと僕に触れまし

た。しかし目を開けてみると、すべては消えてしまいました。僕はいつ

か、彼女らの一人が、自分たちはとても臆病なのだと言っていたのを

思い出しました。




(消えてしまった。雪みたいに)




遠い異国には、無臭でほんのわずかに甘い、雪のうわばみのような

白色の毒があるそうです。僕はそれを本で読んだことがありました。

あるいは臆病者たちは、その毒をあおって死んでしまったのでしょうか。




(毒だということも知らずに)




そう考えると悲しくて、涙がぽろぽろと流れました。

ロシアの地には、根元からなにか恐ろしいものが巣食っています。暖

房が完備されても、サウナができても、いくら暮らしやすくなったって、

ロシアの悲哀はなお薄れないのです。

僕は両手で両目を覆って、おいおいと声を上げて泣きました。しまい

には窓の桟にすがって。

冷たいガラスに額をすり付けると、ぞっとするほどの底冷えがしました。

内側から凍ってゆくのです。いっそ死んでしまえたら、と思いました。

こんな場所で、僕はたった一人きり。遮断は罪悪であるかのように胸を

締め付けます。それでも僕は怖くて怖くて、家から出ることはできない

のでした。

一度冬が訪れれば、春まで家からは出られません。死を恐れる僕は、

スヴィドリガイロフのような臆病者でしょうか。ふと見ると、いつの間にか

雪が降り始めていました。毒だ、毒だ、と僕はうわごとのように呟きます。

苦痛から絞りだされた悲鳴を、聞くものはいませんでした。

僕にとって、長い冬は孤独そのものです。ロシアの氷原には、多くの

孤独が根付いています。それは寒さゆえの孤独であり、どこか自虐に

満ちた、ロシア人的とすらいえるもので、それがロシアに自殺が多い理

由である気がしてならないのです。そしてその孤独によって、僕はこの

氷の大地に縛り付けられているのでしょう。







空から降りだした白い毒。もしかすると、それは僕らの慟哭の根源なの

かもしれません。僕は冷たい窓に張りついて、しばらく泣き続けていた

のでした。恵まれないわが祖国、ロシア!





(おお、神よ!それが多分に恵まれているのと同じであることを、あなたは教えて下さらない!)







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